日外アソシエーツの出版物で、雑誌や新聞に掲載された書評や、著編者による自著紹介を記したブログです。
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「衣」のフィルターから人間の文化を見つめる
平井 紀子著
『装いのアーカイブズ
―ヨーロッパの宮廷・騎士・農漁民・祝祭・伝統衣装』
2008年5月26日刊
A5判 256頁 本体3,200円
発行/日外アソシエーツ・発売/紀伊國屋書店
「衣」のフィルターから人間の文化を見つめる
「図版解説」は歴史の奥行きの深さを開く 鷲見洋一
ふつうの単行本でありながら「アーカイブズ」と名乗る、おもしろい書物である。
読んでいくに分かってくるのだが、本書の著者平井紀子氏は、大学図書館に長年勤務した経歴を持ち、とりわけ服飾関係の資料を扱ってきたベテランなのだ。「装いのアーカイブズ」というタイトルは、著者の側からすれば、ことさら構えた論文集でもなく、しゃれたエッセー集でもない、服飾の歴史をめぐる、ただのカードないし資料集ですという謙遜なのだろうが、これがなかなかどうして、けっこう読ませる書物なのである。
実際はどうなっているかというと、膨大な世界服飾史から選り抜かれた60点の資料を手際よく分類し、記述・解説した、ある種の事典ないし案内書といった体裁をとる。「事典」や「ガイド」は、情報だけは正確でも、論文や評論に比べてどこか紋切り型で、個性に欠き、潤いに乏しいというのが常識であるとすれば、本書にはその常識を打破するに足るだけの、快い知的刺激に満ちた内容が横溢していることにまず驚かされる。
平井氏が狙っているのは。よくある衣装の変遷史でもなければ、民族や地域単位の解説本でもなく、衣装の機能や服種による類別を主軸にすえた構成をとっており、従来の類書とは一線を画する編集である。対象とされる時代は中世から近代で、西ヨーロッパが中心になるが、「衣」というフィルターを介して「人間の文化」を見つめ直そうという著者の企図は、この卓抜な視座設定のおかげで、みごとに成功しているといえよう。
全体の章立ては六章構成で、第一章「君主および皇帝・皇后の服装」、第二章「戦士の服装」、第三章「祝祭服・儀礼服」、第四章「作業服・農民服・職業服」、第五章「地域の伝統衣装」、第六章「スポーツ服・遊戯服」となっている。
記述の単位は、取り上げる服ごとに数ページ程度の分量だが、かならず図版が数葉添えられ、1.「国・地方・民族」、2.「時期・時代」、3.「図版解説」、4.「典拠文献」、5.「解題」という具合に、きちんと区分けされている。よくあるべったりとした語り口の、長々しい文章体ではない、辞書風の清々しい構図が最大の特長である。
まず、3.「図版解説」の部分は、著者が自由に筆を揮うページで、歴史、文化、逸話などさまざまな分野におよび、ここが本書のいわば「読ませどころ」になっている。私は日頃ヨーロッパの歴史に親しむことが多いので、前半部で取り上げられている君主、皇帝、皇后、戦士の衣装や、祝祭服・儀礼服の類は、写真や挿絵などで接する機会も少なくないわけだが、本書後半の「作業」、「農民」、「職業」といったカテゴリーについては、未見のものが多く、作業や労働内容の種類から捉え直した服装、地方や国特有の伝統衣装、とりわけスポーツの制服といった、珍しい素材をことのほか楽しんだ。ほんの一例をあげるなら、「ドイツの飛脚」にあてられた六ページは、簡素で切りつめた表現ながら、ギリシア・ローマ時代から中世・近世ヨーロッパにおける飛脚制度や郵便制度の歴史がわずかなスペースで略述され、著者の豊富な蘊蓄の一端を垣間見せる。スポーツ服をあつかった最後の数ページでは「水着」が登場するが、間近いオリンピックの水泳種目で話題をさらっている評判の競泳用水着を、平井氏の文章の延長線上に置いてみると、意外と奥行きの深い歴史的展望がえられるのもたのしい。
4.「典拠文献」は、逆に、衣装関係の稀覯本に関する細密な記述である。衣装専門の司書たる著者の学問的知見が披瀝されて、その道の専門家には、たまらなく美味しい箇所であろう。近年、アナル派を中心として展開する社会史のめざましい成果のなかで、服飾に着眼した大部な研究書もちらほら目に付くが、本書はそうした重厚長大路線から心持ち離れたスタンスで、趣味のいい、それでいて腰の据わった教養と含蓄の香りを発散している。ぜひ続編を期待したいところである。
(中部大学教授/18世紀フランス文学・思想・歴史)
「図書新聞」2008.8.16(第2882号)より転載
『装いのアーカイブズ
―ヨーロッパの宮廷・騎士・農漁民・祝祭・伝統衣装』
2008年5月26日刊
A5判 256頁 本体3,200円
発行/日外アソシエーツ・発売/紀伊國屋書店
「衣」のフィルターから人間の文化を見つめる
「図版解説」は歴史の奥行きの深さを開く 鷲見洋一
ふつうの単行本でありながら「アーカイブズ」と名乗る、おもしろい書物である。
読んでいくに分かってくるのだが、本書の著者平井紀子氏は、大学図書館に長年勤務した経歴を持ち、とりわけ服飾関係の資料を扱ってきたベテランなのだ。「装いのアーカイブズ」というタイトルは、著者の側からすれば、ことさら構えた論文集でもなく、しゃれたエッセー集でもない、服飾の歴史をめぐる、ただのカードないし資料集ですという謙遜なのだろうが、これがなかなかどうして、けっこう読ませる書物なのである。
実際はどうなっているかというと、膨大な世界服飾史から選り抜かれた60点の資料を手際よく分類し、記述・解説した、ある種の事典ないし案内書といった体裁をとる。「事典」や「ガイド」は、情報だけは正確でも、論文や評論に比べてどこか紋切り型で、個性に欠き、潤いに乏しいというのが常識であるとすれば、本書にはその常識を打破するに足るだけの、快い知的刺激に満ちた内容が横溢していることにまず驚かされる。
平井氏が狙っているのは。よくある衣装の変遷史でもなければ、民族や地域単位の解説本でもなく、衣装の機能や服種による類別を主軸にすえた構成をとっており、従来の類書とは一線を画する編集である。対象とされる時代は中世から近代で、西ヨーロッパが中心になるが、「衣」というフィルターを介して「人間の文化」を見つめ直そうという著者の企図は、この卓抜な視座設定のおかげで、みごとに成功しているといえよう。
全体の章立ては六章構成で、第一章「君主および皇帝・皇后の服装」、第二章「戦士の服装」、第三章「祝祭服・儀礼服」、第四章「作業服・農民服・職業服」、第五章「地域の伝統衣装」、第六章「スポーツ服・遊戯服」となっている。
記述の単位は、取り上げる服ごとに数ページ程度の分量だが、かならず図版が数葉添えられ、1.「国・地方・民族」、2.「時期・時代」、3.「図版解説」、4.「典拠文献」、5.「解題」という具合に、きちんと区分けされている。よくあるべったりとした語り口の、長々しい文章体ではない、辞書風の清々しい構図が最大の特長である。
まず、3.「図版解説」の部分は、著者が自由に筆を揮うページで、歴史、文化、逸話などさまざまな分野におよび、ここが本書のいわば「読ませどころ」になっている。私は日頃ヨーロッパの歴史に親しむことが多いので、前半部で取り上げられている君主、皇帝、皇后、戦士の衣装や、祝祭服・儀礼服の類は、写真や挿絵などで接する機会も少なくないわけだが、本書後半の「作業」、「農民」、「職業」といったカテゴリーについては、未見のものが多く、作業や労働内容の種類から捉え直した服装、地方や国特有の伝統衣装、とりわけスポーツの制服といった、珍しい素材をことのほか楽しんだ。ほんの一例をあげるなら、「ドイツの飛脚」にあてられた六ページは、簡素で切りつめた表現ながら、ギリシア・ローマ時代から中世・近世ヨーロッパにおける飛脚制度や郵便制度の歴史がわずかなスペースで略述され、著者の豊富な蘊蓄の一端を垣間見せる。スポーツ服をあつかった最後の数ページでは「水着」が登場するが、間近いオリンピックの水泳種目で話題をさらっている評判の競泳用水着を、平井氏の文章の延長線上に置いてみると、意外と奥行きの深い歴史的展望がえられるのもたのしい。
4.「典拠文献」は、逆に、衣装関係の稀覯本に関する細密な記述である。衣装専門の司書たる著者の学問的知見が披瀝されて、その道の専門家には、たまらなく美味しい箇所であろう。近年、アナル派を中心として展開する社会史のめざましい成果のなかで、服飾に着眼した大部な研究書もちらほら目に付くが、本書はそうした重厚長大路線から心持ち離れたスタンスで、趣味のいい、それでいて腰の据わった教養と含蓄の香りを発散している。ぜひ続編を期待したいところである。
(中部大学教授/18世紀フランス文学・思想・歴史)
「図書新聞」2008.8.16(第2882号)より転載
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