日外アソシエーツの出版物で、雑誌や新聞に掲載された書評や、著編者による自著紹介を記したブログです。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『教育パパ血風録』
澤井繁男著 2007年5月刊
定価1,680円(本体1,600円)
四六判・200頁 ISBN978-4-8169-2044-8
「教育パパ血風録」案内サイト:
http://www.nichigai.co.jp/sales/education_papa.html
大学受験予備校の非常勤講師(英語科担当)として四半世紀のあいだ、思春期の生徒とじかに触れてきた著者の教育論。
「予備校は本音以外は通じない教育現場」であり「建前に終始する高校」や「大学教員の安住に身を任せた研究者ぶり」(「はじめに」より)とは対極にある現場だ。これは日本語教育の現場を彷彿とさせる。
本書は「教育行政や組織の腐敗」には焦点をしぼらず、あくまで「教師」にこだわって書かれている。「教える側の良し悪しが、その授業なり講義なりの良し悪しを決定する」という著者の考えからだ。「『教育』は『教え育てる』ものでなく、教育する側にとっても『教え育つ』ものであり、教えることで、自分も教わっている側から学んでいる姿勢をつねに保持することが大切」(同)とし、みずからの授業を省みる姿勢を促す。
「リンゴ五個とみかん三個は、可視的で、あわせて八個だが、『5+3=8』は不可視的領域に入る(七十九頁)」不可視的なものを可視的に表現するのに数学なら数式を用いる。
数式から具体的な内容を思い浮かべられるか。音符を見て曲想が沸くか。文芸作品を読んで光景を思い浮べられるか。「ここで大切なのは、可視的なものを不可視的にできる能力と、抽象化されたものを具体的に還元できる能力の二つである(同)」
日本語教育におきかえてみると、自分の思いや考え(不可視的なもの)を日本語(可視的なもの)で表現する能力と、表現された日本語(抽象化されたもの)を理解する(具体的に還元できる)能力と言える。
「教育者の役目はこの二つの往き交いを生徒や学生に指導することである。そのためには教師自身にこの体験がなくてはならない(八十頁)」
教師の姿勢を正す一書。
日本語教育新聞社 http://www.nihongo-news.com/
「日本語教育新聞」 2007.7.1 10面より転載