日外アソシエーツの出版物で、雑誌や新聞に掲載された書評や、著編者による自著紹介を記したブログです。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「からだ、不可解なり─透析・腎臓移植に生かされて」
澤井繁男著 2007年6月刊
定価1,980円(本体1,886円)
四六判・230頁 ISBN978-4-8169-2054-7
案内サイト:
http://www.nichigai.co.jp/sales/karada.html
「闘病記」と冠する書籍やTV番組は数多くあります。肉体的な苦痛、精神的な苦痛、家族の苦労などがわかりやすく書かれています。ところが、多くを読んでいくうちにある意味食傷気味になります。それぞれの人生、それぞれの環境で同じものなど無いのですが、日を追って緻密に書かれていればいるほど「同じものを読んだなぁ」という気になります。
人というのは生命体ですから、系統的に各臓器が働いています。病気というのはその一部が不全になり、重篤になれば死を迎える、本書を読むまではそう思っていました。理論的に病気になるというのは物理的なことですから間違い無いのですが、心情的には「どうして私だけ、どうしてこんな時に」と思ってしまいます。多くの闘病記はここまで。書き手はほとんどの場合素人ですからそれ以上の表現ができません。それ以上の表現を望むなら、愛する人が死んでしまう…というような(流行の)小説や映画を見ればいいでしょう。
本書は著者の闘病の経緯から書き起こされています。著者は小説家であり文学研究者でもあるため、余分な脚色無しに叙述しています。たいていはここで終わりなのですが、本書I部後半からII部では、宗教学者との対談を交えて心と体、身体と肉体など単なる精神論ではない、病人の精神面について深く掘り下げているところが興味深い。III部では著者が経験した医療の問題点を取り上げていて共感する話が多くておもしろかったです。もし私が今日まである程度健康で過ごしてきたのなら「なるほどね」とだけ思うところでした。不運なことに(本書では『不幸』ではないと書かれている)私も中年を迎えるところでガンの手術を経験してしまい、『死』というものが人ごとではなくなりました。大病をして思うことは本書にも何度も出てくるフレーズです。
『生きているのではなく、生かされているのだ』
白鳥詠士
TrackbackURL