日外アソシエーツの出版物で、雑誌や新聞に掲載された書評や、著編者による自著紹介を記したブログです。
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「内部障害者」の運と命語る(栗岡幹英)
「からだ、不可解なり─透析・腎臓移植に生かされて」
澤井繁男著 2007年6月刊
定価1,980円(本体1,886円)
四六判・230頁 ISBN978-4-8169-2054-7
案内サイト:
http://www.nichigai.co.jp/sales/karada.html
イタリア文学者にして小説家、そして大学教授でもある澤井氏の、四半世紀にわたる闘病生活の記録と、宗教学者・山折哲雄氏との対談、そして医療について書きつづられたエッセーからなる。もっとも「闘病」と述べるのは、氏の望むところではない。氏によれば、腎臓の機能を失った内部障害者の「運」と「命」の記録である。そこでは、腎臓移植を受けて人工透析から解放され、肝炎治療に使用したインターフェロンによって機能しなくなった移植腎をあきらめて再び透析に戻り、さらに腹膜を利用した透析を経験し、腹膜炎による手術を経て三度人工透析に至る、「起伏のある」時間が流れる。
氏は、受診したある医師にこの経過を語ったときに返されたことば「…不幸な人生でしたね」にわだかまりを覚え、その言い方は「やはりひどいんじゃないですか」と抗議する。また、「ギラギラ輝く目で夫婦間移植を迫る」医師のいる病院を離れ、「今強いて移植するには及ばないでしょう」と穏やかに語る医師に、あるべきインフォームド・コンセントを見いだす。
さらに澤井氏は「病む現象を受け止めてくれる肉体」と「身体」を区別し、自らを「からだの内外の構造に欠落がある」身体障害者だととらえ、「透析は苦しい」という医師の思いこみに反して、「透析を辛(つら)いとは思ってはいません」と答える。「一回一回の透析で再生する歓(よろこ)びがあり、自分の血流を一部でもこの目で見ることで循環的感覚をしみじみと味わえること」を「透析の醍醐味(だいごみ)」だと言うのである。
患者が医療と医師とをどう経験するのか、患者からみて今日の医療とはどういうものなのか、話は代替医療や病気腎移植に及び、賛成するかどうかは別として独自の見解が語られる。長期の経験を踏まえて語られる澤井氏の思いは、いつ同じように障害や病気に向き合うことになるかわからない私たちにとって興味深いというばかりでない。自らは透析も移植も受けない多くの医師や看護師たちにも知ってほしいものである。
(奈良女子大学文学部教授・栗岡幹英)
奈良新聞 2007.7.29 9面(読書 BOOKS)より転載
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